憲法改正?議論するべきことは山ほどある

今日は憲法記念日。マスメディアがこぞって憲法改正への世論調査を実施し、賛成と反対が拮抗しつつある現状を報告している。それらを見るにつけ、調査の質問自体に恣意性が感じられるメディアもあり、信ぴょう性が乏しい感じもする。しかし、相対的には改憲派が勢いを伸ばし、改憲賛成に徐々に意見が集約しつつあるようだ。ただ本質的には、憲法も改正が必要なのは当たり前で、形あるものすべて変化する。変化しないものはこの世に存在しない。

 ただ、改憲派が問題にする憲法改正は、そこに嘘があったり、自由を制限したり、政府の権限を強めたりして、我々庶民の暮らしをきゅうくつにし、自由な思考や行動を制限しようとするたくらみが隠されているから私は反対するのだ。それは丁度、香港や中国、ミャンマーのような市民が何か行動を起こしたり、政府の政策に反対したりすると、それを不正や不法行為として取り締まろうとし、そして法律を作り、国民を政府の監督下に置こうとするからだ。政府が作る法律はそれを破れば逮捕され拘束される。だから法律を作る政府を縛るものが必要だ。それが憲法なのだ。

 今の憲法は国民を縛ろうとして法律を作っても、憲法がある限り、十分にに縛れない。そこに私は法律に拘束されない安心感を覚えるのだ。9条の戦争放棄より、人権尊重や自由、平等、生存権、ストや闘争権などの方が重要なのだ。こうした人権尊重の思想があればこそ、好き勝手なことを言い、好き勝手に仕事選び、政治家を選び、好きな文章を書き、好きな本を読めるのだ。もし憲法を改正したらどうなるのだ。香港のように国家安全基本法なる法律が施行されて、愛国心がなければ議員になれなかったり、国を批判すれば、それだけで逮捕されたりする。そういう法律を作らさないためにも、憲法は大事なのだ。

 もし人権より、さらに公共の福祉を重要視するように憲法が改正されれば、簡単に言いたいことが言えなかったり、政府批判ができなくなったりする可能性だってある。今の政府自民党は、政府批判をするマスメディアに対して放送権や公正などの観点から、メディアからの政府批判を無くそうとしている。しかし、政府は国民の税金を分配し、国民に直接かかわる政策を実行する役所なのだから、批判が起きるのは当たり前なのだ。それを無くそうとすれば、権力をもって口を封じるか、力でもって従順にさせるかしかない。権力は法律を作り、国民を縛ることができる。そうなれば、国民は抵抗できなくなる。香港や中国、ミャンマー、北朝鮮と同じだ。日本もその可能性が高い。だからこそ、憲法という基本的人権を尊重した現憲法は大切なのだ。

 現憲法は占領軍による押し付け憲法だから変えなければならないという。とても危険な発想だ。もし、当時の日本の政治家が作ったなら、ここまで徹底した人権尊重の思想なんて憲法に規定できなかったはずだ。今の自由や人権は憲法に負うところが大きい。今の日本人に、人権や自由や社会権など議論する能力は低い。コロナワクチンを作る能力がないのと同じぐらい、世界水準で見れば能力はとても低いのだ。われわれ日本人は自分の能力の低さを冷静に知らなければならない。そうすれば、現憲法がどれほど私たちの思想や言論や生活、友人関係、仕事、すべてにわたって下支えしてくれているのがわかるはずだ。私たちはすべてのことに対して議論しなければならない。自民党、国会、政府、戦争、嘘、安倍、税金、年金、保険制度、医療、学校、国債の発行、年2%の物価上昇政策、金融緩和、桜を見る会、検事総長の定年延長の特例、・・・議論するべきことは山ほどある。

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