劇団きづがわ「鶴彬ー暁を抱いて」を見て(大阪春の演劇祭り公演)

今日は何年、何十年ぶりかで演劇を見た。音楽のコンサートはクラッシックを聞きに時たま足を運ぶが、演劇はほんと久しぶりだ。若いときは小劇場があって、いろいろな劇団が活躍していたが、今は劇団四季とか大手の演劇が華やかだから、小劇団の演劇は見る機会がなかった。それが劇団を主宰している人と出会って、今度上演するからぜひ見に来てと言われ、有料のチケットが送られてきたのだ。

 会場は大阪人権博物館(リバティーおおさかホール)。なんとも辺鄙なところで上演するんだなと思いつつ、小劇団というのは財政的にもきついのだろうと思いつつ行って見たが、なんと、午前の部にかかわらず、学生らしき10代から20代前半ぐらいの若い女性が多く詰めかけていた。300席ぐらいの会場は7~8割がた埋め尽くされていた。一方で男の方は若い人は少なくて、中高年が多いのは残念だな。女性の方が、文化的な面では積極的なのだろう。

 演劇は主演の男性が上手で、見ごたえがあった。若いのに大したもんだと思いつつ、やはり演劇は個人がしっかりしていないとだめだな、という思いを強くした。そのほかの人も皆上手だった。アマチュアながら皆、相当練習しているのだろう。人に見せて、お金をもらう、ということは大変なことで、しかも普通の出来ではだめで、才能に秀でた人が出ないとだめなのだろう。

 劇の題名は「鶴彬ー暁を抱いて」。鶴(つる)は戦前のプロレタリアートの川柳作家で、主演を演じたものが若くて、鶴と雰囲気が重なり合って、こちらの胸にずしりと入り込んでくる。それと、鶴が読んだ川柳がスクリーンで映し出されるので、その言葉が重くて、どうしようもなくなってくるのだ。ただ全体的に話の流れは単純で時間の流れどおりに進行するから、大きな面白さが少ない。昔、そとこばこまちの演劇は動きがあって、演劇らしい感動があったが、劇団きづがわの演劇は単調だ。それでも、主題が重たいから、それはそれでいいのかもしれない。

 鶴が読んだ川柳をいくつか載せておきたい。戦前の軍国主義批判を何かで投獄されていたときに詠んだ川柳で、暗い夜空を見上げながら軍国主義や貧しい人々の幸福を願って「暁を抱いて闇にゐる蕾」。(この苦しい状況から、暁の空への願望を抱きながら、今いるのは闇の中だが、それはいつか花開くだろう)

 徴兵令で赤紙1枚で戦争へ駆り出され万歳でもって見送られたが、戦傷兵を見て読んだ川柳
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」と政府を批判している。

 労働争議に際して、過酷で長時間労働、低賃金であえぎ病気になった人々に対して読んだ川柳、
「枯れ芝よ 団結をして春を待つ」

自分自身の命が危ない状況を読んだ川柳
「燐寸の棒の燃焼にも似たこの命」

都会に出て働いて病気を病んで故郷へ戻ってきた人を読んだ川柳
「ふるさとは病とい一しょに帰るとこ」

出征兵士の妹なのだろうか、親が自分の娘を売らなければ生きて行けない農家の様子を読んだ川柳
「ざんごうで読む妹を売る手紙」

年老いた朝鮮人労働者を読んだ川柳
「ヨボと辱められて怒りこみ上げ朝鮮語となる」

などなど・・・

鶴の生きた時代は丁度大正期から昭和初期。亡くなったのが昭和13年で、29才の時。治安維持法という恐ろしい法律の犠牲になったともいえそうだ。

 この時代にはかなり自由を満喫できる雰囲気もあったのだが、共産主義などの取り締まりは残酷なようだったのだ。この時代の歌をyotubeから載せておきたい。

森昌子 大正ロマンを唄う


森昌子 男の純情


この記事へのコメント


この記事へのトラックバック