ルソーの考察①「最初の社会」について

 フランスの思想家ルソーの言葉は理解できない。それは時代が違うことや、フランスやヨーロッパが持つ歴史的・思想的な積み重ねが日本人の感覚と全然違うことなどから、ある面仕方ないことなのだろう。それに加えて私個人の教養の無さも問題なのだろう。と言っても、理解できないから、スルーするのではなくて、理解できないままで、その言葉を楽しみたいと思う。丁度、意味の分からいながらも面白かった映画ように。

 私たちは社会の中で生きている。社会を抜けて一人では生きていけない。原始的な社会はどのようにできたのだろうか。また、社会とは何なんだろう。ルソーは歴史学者ではないが、社会の最初のでき方について次のように考察している。

「あらゆる社会の中で最も古く、またただ一つ自然なものは家族という社会である。ところが、子供たちが父親に結び付けられているのは、自分たちを保存するのに父を必要とする間だけである。この必要がなくなるやいなや、この結びつきは解ける。子供たちは父親に服従する義務をまぬがれ、父親は子供たちの世話をする義務をまぬがれて、両者等しく、再び独立するようになる。もし、彼らが相変わらず結合しているとしても、それはもはや自然ではなく、意志に基づいてである。だから、家族そのものも約束によってのみ維持される。

 両者に共通するこの自由は、人間の本性の結果である。人間の最初のおきては、自己保存を図ることであり、その第一の配慮は自分自身に対する配慮である。そして人間は、理性の年齢に達するや否や、彼のみが自己保存に適当ないろいろな手段の判定者になるから、そのことによって自分自身の主人になる。

 だから、家族はいわば、政治社会の最初のモデルである。支配者は父に似ており、人民は子供に似ている。そして両者とも平等で自由生まれてきたのだから、自分に役立つのでなければ、その自由を譲り渡さない。ただ、異なるのは家族においては父親の子供に対する世話をつぐなうものは子供たちに対する愛だが、国家においては、支配者は人民に対して、この愛を持たないのだから、支配する喜びがこれに代わる、という点である。」

家族は、子供が小さいときは子供は親に服従するが、大きくなると、子供も自分自身が主人となる。それは自己保存が何より配慮されるからだ。家族はお互いの自由な意志により結合するが、その関係は約束である。そしてこれこそが、社会の最初のモデルだと言っている。

 今の私たちは、法のもとで暮らしてるが、国と私たちの約束が一般化されたのが法律であり、憲法と言えるのかもしれない。

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