集団的自衛権を認めた閣議決定、の全文を読んでみる

朝日新聞デジタルから、去年7月1日に決定された”集団的自衛権を認める閣議”、の全文を読んでみた。そこからは安倍政権のなんともいえない屁理屈が垣間見えてくる。

 まず安倍政権の世界観である。
”わが国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容し、・・・脅威がどの地域において発生しても、わが国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。”としている。

そのため、政府の責務は”十分な体制を持って力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法に則って行動し・・・紛争の平和的な解決を図らなければならない。”としている。ここで、”見通しがつきやすい環境の創出”とは何を意味しているのだろう。米国主導の安定した世界観を言うのだろうか。

さらに、言葉は続く。政府の責務は”わが国自身の防衛力を適切に整備し、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、・・・日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより武力紛争を未然に回避し、わが国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、・・・国際協調主義にもとずく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法を整備しなければならない。”としている。

これは閣議の概要にあたり、安倍政権の世界観、安全保障の姿勢を示しているのだろう。
すなわち、脅威は世界中で発生し、それが日本に及ぶ可能性がある。だから、日米同盟の抑止力を向上させるとともに、切れ目のない、法整備が必要だと述べている。

このあと、色々な具体例を述べている。

そして、集団的自衛権の行使についての必要性を、こう述べている。
”これまで政府は、この基本的な理論の下、「武力の行使」が許容されるのは、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等によりわが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こりうる。
・・・
こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。”

これが、集団的自衛権の行使を認める政府の考え方だ。

すなわち、これまでは自衛のための武力行使以外は認めなかったが、密接な他国への武力行使も、わが国の存立が危ぶまれる場合に限って、自衛の手段として、武力行使を認めると言う考え方だ。

そして、今、これらのことを実際の活動に移すことが可能な法整備を進めているというわけだ。上の、”わが国の存立が危ぶまれる場合”というのが、「存立事態」と言う、政府が新しく出してきた概念だ。

私も、この閣議の全文を読んで、少しは安倍政権の考え方が理解できるが、他国への攻撃が自国の存立を脅かされる場合を想定して、それを持って、武力攻撃を可能とするとは、やはりピンとこない。色々な紛争に関わろうとする口実に過ぎないように感じるし、紛争の当事者になる危険性も排除できない。積極的平和主義と言う、実体の不明な言葉に踊らされて、これまでのほんとうの平和主義から、一歩も二歩も、テロや紛争、戦争の当事者になる可能性をはらんでいると言えるだろう。

国民として、市民として反対せざるを得ない。

集団的自衛権の行使を認めた閣議決定(全文):朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG713DQGG71UTFK00J.html

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック