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zoom RSS 堤防決壊で住民は避難しようとしたのか、しなかったのか、なぜ多くの犠牲者が出たのか

<<   作成日時 : 2018/07/12 00:59   >>

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今回の倉敷市真備町での河川決壊での死因はほとんどが水死だという。自宅での水位上昇による逃げ場を失っての水死だと思われるが、時間やその詳細な死因分析が必要だろう。というのも小田川の越水や決壊時間と住民が避難するタイミングとの、その時間的な関係が重要だと思われるからだ。一秒一刻の時間的な余裕がなかったわけでなく、余裕があっても避難せずに、いつの間にか道路の水が増え逃げることができず、水が2階近くまで上昇して水死したような場合もあるようなのだ。

 前回のブログでは、矢掛水位観測所のデータをもとに議論を進めたが、倉敷市は高梨川も抱えており、こちらの水位状況も確認しておく必要がある。しかし、ここではそうした全体的な議論からではなく、個人的視点からもう一度、7月6日金曜日を中心に、どうしてこうした悲惨な状況が発生したのか考えてみたい。

 今回の豪雨は6日だけではなく、また、真備町だけではない。梅雨前線の停滞は5日から始まり、6日も西日本各地で豪雨をもたらしたし、それが土・日曜日まで連続するとして、テレビでは数十年に一度の災害をもたらす豪雨になるかもしれないと、晩7時のニュースでは放送していた。気象庁も記者会見を開き、大雨特別警報に注意するようにとか言っていたと思う。私は大阪在住だが、ニュースでは京都の鴨川の濁流の様子を放映していたと思う。

 こうした状況の中で、役所の防災担当者はそれなりの準備をすすめていたはずだ。真備町では5日で50o、6日も雨が降り続け累積で120o程度の雨量となっていた。2日連続の雨であったにもかかわらず、6日の22時40分には倉敷市に「大雨特別警報」が出された。テレビで放送していたように、数十年に一度の大雨になる可能性がでていたのだ。事実、21時から22時にかけてかなり強い、1時間27oの雨を記録した。

 そして、岡山河川事務所は、矢掛水位観測所が22時頃には氾濫危険水位(レベル4)の4.5mに達する見込みだという警戒情報を21:50に発表した。すでにこの時点で、いつ小田川の氾濫が起きてもおかしくない状況になった。つまり、2重の意味で危険が警告されたのだ。それは大雨特別警報の発令であり、小田川の氾濫危険水位を超えるという情報だ。

 それに対して、倉敷市は22:00に真備町全域に「避難勧告」を出した。「勧告」という意味はよく知らないが、多分個人的には、避難したい人はして、したくない人はしなくていいというような、かなりあいまいなものだと思う。避難所も開設されていたようだが、実際に避難した人は、統計的にはほとんどいなかったようだ。外は暗く、雨がかなり強く降っていた。

 この22:00時点の八掛観測所の水位がどれくらいだったのか、倉敷市は認識していたのだろうか。水位は4.63mで氾濫危険水位を13p上回っていた。もし、今が昼間なら、「避難指示」が出るのが当然な状況だったのだ。国交省の河川担当者は、橋の上からでも、あるいは堤防を歩くなりして、小田川の河川の状況を倉敷市に伝えていたのだろうか。ここで、「避難指示」を出していたら、多くの人は避難の準備を始めただろう。

 23:00には水位は5.29mまで上昇した。もう、矢掛地区でも氾濫しそう危険水位だ。そして倉敷市は水位上昇の情報から23:45に、小田川右岸に対して「避難指示」を出した。そうこうしているうちに、7月7日0:00、 真備町箭田(3k200)右岸で越水したのだ。レベル5になった。

 越水というのは、土手を水が越え始める段階で、破堤の前兆と言える。茨城県鬼怒川の豪雨では、越水して1〜2時間後に堤防が破壊され、大量の水が市街地に流れ込んだ。そうだとするなら、まだ、この段階では避難活動はしようと思えばできた段階だ。

 その後、水位は午前2時ごろには5.67mまで上昇し、最高となった。これより少し前の1:34、高馬川左岸で決壊を確認した。これにより倉敷市は小田川左岸地域についても「避難指示」を出した。これで、真備町全域が「避難指示」地域となった。高馬川というのは地形図で見ると小さな河川で、川幅10m、全長3〜4qだ。だからこれが決壊しても、周囲への一部住宅被害は出ても人命までも奪いはしないだろう。

 そうするなら、この時点でも、避難しようと思えば避難できただろう。だが、夜の1:30を回って雨が降り、高馬川が氾濫して避難指示が出たからと言って、多くの人は避難しようと考えないだろう。

 だから、実際、ことが重大になるのは小田川が氾濫し始めてからだろう。それがいつ氾濫したかだ。確認されたのは午前6時52分。かなり日が昇ってからだ。国交省が写した写真を見たが、すでに7:00段階で、大きく堤防は破壊されて口を広げている。もう、1〜2時間経っているような感じを受ける。いつ小田川が決壊したかは、問題をとらえる上で重要だ。聞き取り調査などで、時間等を特定する必要がある。

 決壊した水が真備町全体にいきわたるにはかなりの時間がかかるはずだ。決壊現場から近く、低地ならすぐに水が来るだろうが、遠く離れていればそれなりに時間がかかる。

 テレビニュースなどでは、水が来始めると、案外早く水の上昇が起きるようだ。朝7時に確認した段階で、国交省や倉敷市がどれほどの手を打ったかだ。あるいは朝7時の小田川決壊までに「避難指示」をどれほど徹底したかだ。

 だが、今の段階で聞こえてくるのは、行方不明者の増加であり、その発見が死亡であり、その理由が水死だという声である。逃げる途中で水に巻き込まれたというより、家にいながらの水死である。

 一体、情報はどう伝達され、住民にはどう伝わったのか。もし、多くの住民が居ながら水死したとなれば、どう情報を伝達すればよかったのか。どうすれば命が救われたのか。多くの命の犠牲を無駄にしてはならない。

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