建設業界の専門性と資格

昨日、空を飛んでいる夢を見て、上空から下を見るとはなんと気持ちいいことなんだろう、と朝からいい気分に浸りました。家族に話すと、絶対いいことあるで、とか、起業し、とか言ってくれました。しかし、夢は夢、現実は厳しく、起業への道は見えません。

4日前、14日の土曜日、地質調査技士の資格試験を受けに行ってきました。この資格は民間ながら、就職の際、あるのとないのとでは、全然大違い。無ければ、地質関係の就職の申し込みさえ出来ない、重要な民間資格。20年ほど前は、資格なんて、そんなに問題にされなかったのに、今はそれがなければ門前払い。

 でも、資格全盛時代に、やはり文句を言いたい。資格を取った人はいいですよ。でも無い人は、そのためにその道を諦めなければならない場合もあるのですよ。

 資格と言うのは、目に見えるランク付け?あるいは、この水準程度の知識があると言う証明?そりゃ、これだけの高度化された社会。必要な資格と言うのは認めます。医師に、看護師、自動車免許、・・・でも、資格の、負の面も考えなきゃね。国家資格があることで、その立場を法律的に保護されているわけで、特権が認められているわけだ。社会的にも、経済的にも、色々な利益を受けるわけだ。それを増やしていけば、どうなる?社会が特権で埋め尽くされてしまう。それでは、社会の活力は失われ、沈滞し、腐敗していくだろう。

資格は、ある特定の分野に限定すべきではないだろうか。建設分野で、資格が大流行なのは、入札に関係しているからだ。技術者が多いほど点数が上がり、入札機会が増える。また、工事の管理責任者になるには、何かしらの国家資格が必要なのだ。だが、現実はうそが充満している。施工管理などしたことも無い人間が、資格試験に合格していることだけで、名前貸しで、入札や現場管理者に名前を連ねている。現実に施工管理している人間と、名目上の管理者が違っている。建設分野で、こうしたことは当たり前だ。

でも、建設現場というのは、実際高度化され、専門化されている。素人では、難しい社会だ。実力がものを言う社会でもある。医療現場と同じだろう。私が起業を目指している地質調査の仕事でも、ボーリングの機械を動かすのさえ、1~2年では出来ない難しい操作だ。なぜか、素人には分からないだろうが、地中を掘れば、土が崩れてくるのだ。崩れる土をどう抑えるか、それは粘土で抑える。しかし、土には軟らかい土もあれば、固い土もある、粘土もあれば砂も礫もある、場所が違えば、全て土は違ってくる。簡単には崩れる土を抑えられない。

また、土の挙動も解析しなければならない。この土は、この建物を持ちこたえられるのか、出来ないのか。それはどこにも、回答はない。その回答は、これまでの経験から、推察するのだ。63キロの錘(おもり)を、75cmの高さから降ろし、その回数で、土の固さを計り、この高さの建物が持ちこたえられるのか推察するのだ。そんなのは簡単そうだが、地中の中の作業は簡単ではない。土が崩れ、孔底にスライムが溜まるのだ。溜まったスライムの上で、いくら錘をおろしても、正確な数字は出ない。東京スカイツリーでも、どんな高層建築でも、地盤の固さは、この最も原始的な、錘をおろす回数で、決めているのだ。

これらは、職人技だ。昔なら、資格とかではなくて実績がものを言うのだろう。それぞれの本当の実績を評価する人材がいないことが、資格が増えていることの一因かもしれない。見る目が無いから、資格に頼る。そして、資格が一人歩きして、入札や名前だけの現場管理が多いのかもしれない。


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