森昌子の引退、心の声を大事にした結果?

人はいろいろな仮面をかぶって生きている。私という人間は、多分単純だから一つの顔しかないから、仮面をかぶっているとは言えないだろう。でも、場面が変われば、その場面に応じた仮面をかぶり、そういう顔やそぶりをするかもしれない。

 歌手や俳優は自分以外の人の感情を歌ったり、演じたりするから、他人になりきる必要に迫られる。自分が作詞作曲するなら、自分の感情をそのまま歌いさえすれば、詩と感情が一致するだろう。しかし、多くの歌手は他人が作った詩を歌うから、詩の一言一句を解釈しなければならない。その解釈が声の調子や抑揚、また顔の表情や身振り手振りにも表れる。そうして歌手はその歌の世界に沈殿していく。

 テレビや録画ビデオに映し出される歌手の表情や歌声は、多分そうして作り出された仮面をかぶった表情や歌声なのだろう。それは自分自身の本来持っている性格や考えとは遊離している。視聴者はその遊離した顔や表情、歌声をその歌手本人のものだと信じている。しかし、それは違っているのだ。本来持っている顔を第一の顔とすれば、それは第二の顔。あるいは本人を隠した歌手としての仮面だ。そして第二の顔が強くなってき来ると、徐々に本来の顔が見えなくなって、仮面化するのだ。二つの仮面が存在する。自分という人間があって、しかも並列する関係でもう一つ歌手としての自分が存在する。だから、歌手はある面、その二つの顔を自覚する必要がるのかもしれない。

 その二つの顔の自覚を促すのが第三の顔、あるいは心の奥底からの叫び声かもしれない。本当はおしゃべりなのに、寡黙さを歌う時、その仲を取り持つ声。本当は失恋の経験がないのに、失恋の歌を歌う時出てくる声。普通は、自分は自分であると思っていても、時折、そういう自分って、本当の自分なの、歌手の自分って何なのと心の奥底から叫ぶ声。二つの仮面の中で生きるってことは、ほんとうに自分が望んでいた生き方なの?という声。日常を営む顔、歌手としての顔、それらの葛藤を受け持つ顔。森昌子は常に、森田昌子、森昌子、心の葛藤の声、の3者の声を聴きながら、歌手生活を送ってきたのかもしれない。そして第3の顔が勢いを持つとき、引退を決意するのかもしれない。2つの仮面に終止符を打つのが、もう一つの心の声。引退は心の奥底の声を大事にした結果かなとも思う。

  

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