我々の生存そのものが虚構の中での遊び「○○ごっこ」のようだ

今日、朝日新聞のオピニオンのページに京大名誉教授で保守派論客の佐伯啓思さんの寄稿文が載っていた。その論点は全共闘運動なる反政府運動や三島由紀夫らのナショナリズムも「「革命ごっこ」、「自主防衛ごっこ」、「ナショナリズムごっこ」で、真の現実に向き合わない虚構の中での「ごっこ遊び」であったという江藤淳の論文を引用し、今も日本の現状はこの「ごっこ遊び」を抜け出していないとしている。そして真のリアリティに向き合うには「あの戦争で死んだ死者たちを想起すること」により「ごっこ」を自覚することから始めよう、と言っている。

 そういえば、政治を抜きにしても、自分が生きている世界も何かあるルールの下でゲームをしている「生活ごっこ」のような感じもするし、家族葬や葬式代15万円とかいう広告を見ると、人の死が「葬式ゲーム」という虚構の中でが死んでいくような錯覚さえ覚える。年を取り、老後を過ごす過程も人の年金額が決まっており、自宅か施設か、家族が面倒を見るか介護人か、施設なら民間か公的施設かと、ゲーム感覚、アルゴリズム感覚、いわゆる「ごっこ」感覚で決まっている感じがする。人の生死のリアリティがなくて、痛みがなくて、「鬼ごっこ」という本当の鬼がいない、虚構の中の出来事のように、人は生きて死んでいっているよう思える。人の生のみならず、死さえもリアリティがなく、自覚なく死んでいくのかもしれない。

 リアリティある現実に戻るには、佐伯氏はあの戦争で死んだ人を想起せよと言っているが、私が思うには320万人の日本人の戦死者のみならず、我々日本人が中国大陸で、朝鮮半島で、東南アジアでいろいろの島々で殺し、生活を奪った何百万人という住民、兵士をも想起する必要があるのだろう。
 

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