日本人310万人、朝鮮の死者20万人、中国の軍人・民間人1000万人以上、米軍10万人(先の大戦の戦没者数)

吉田 裕著「日本軍兵士」(中公新書 2017年12月)は今、話題の本だ。しかしまだ全体を読んでいないが、記憶にとどめたいような数字や文章があり、まず「序章」のみから印象に残った数字や記事をピックアップした。

日本がアメリカ・イギリス・中国などの連合国との間で戦火を交えたアジア太平洋戦争。
それの日本の戦没者数は
軍人・軍属戦没者数 230万人
民間人 80万人(外地の日本邦人30万人、国内の戦災死没者50万人) 合計310万人 (日露戦争:戦死者数9万人)

1940年 中国戦線(満州を除く)に68万人の陸軍部隊
 そのうち抗日ゲリラの活発な華北省では兵力は25万人。警備地区1平方キロメートル当たりの兵力数は0.37人。長期化で「厭戦的思想」が広がり始める。
 宜昌(ぎしょう)作戦では前線の一人の兵士が担ぐ重量は弾薬や食料、日用品などを携行したため小銃を含め30キロを超えたという。連隊の戦記には次のようなことが書かれている。

「体重・荷重は両足に物凄い負担をかけ、日に20キロ近く行軍するため靴傷(靴ずれ)ができる。皮はずるむけになり、不潔な靴下のため潰瘍(かいよう)となりさらに進行すると、完全には歩行できない。広大な予南平野はただでさえ水が乏しい。・・・小休止中、「ドカーン」と物凄い爆発音が聞こえる。「敵襲!」と兵士達は銃を手にして立ち上がる。そうではない。「やったか・・・」と兵士達は力なく腰を下ろす。・・・ああ・・・。体力・気力の尽き果てた若い兵士(中略)が苦しみに耐えかね、自ら手りゅう弾を発火させ、胸に抱いて自殺するのである。上半身は吹き飛び、見るもむ残な最後である。宜昌作戦間にこの連隊において38名の自殺者を出した。」

1941年、真珠湾を攻撃してアジア太平洋戦争が始まった
この戦争は、日本が日中戦争の行き詰まりを東南アジアにおける新たな勢力権の獲得によって打開するために開始した戦争だった。また、満州事変以降の一連の侵略戦争で獲得した権益の確保に、日本があくまで固執したために起こった戦争でもあった。

日米交渉では、満州国の現実の黙認という形で日米間で妥協が成立する可能性が客観的にあった。しかし、日本側が撤兵問題一般にこだわり続けたため、結局戦争となった。その意味で、アジア太平洋戦争は日中戦争の延長線上に生まれた戦争だった。

日米開戦後の区分

第1期 開戦~1942年5月 日本軍の戦略的攻勢期。東南アジアから太平洋にかけての広大な地域を短期間のうちに占領した。

第2期 1942年6月~1943年2月 戦略的対峙の時期(日本軍は戦線をさらに拡大しようとしたが、米軍を中心にした連合軍が反撃に転じ、日本軍との間で激しいつばぜり合いが行なわれた。)
1942年ミッドウエー海戦で、日本海軍の正規空母4隻を撃沈して勝利を収めた米軍は8月には、南太平洋、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸する。以後、日米間で同島をめぐる激しい争奪戦が展開された。
 この激しい攻防戦で日本軍は多数の艦船と航空機、熟練した搭乗員を失い陸上戦でも完敗した。また、多数の新鋭輸送船を喪失した。日本の敗勢が明確になるのは、ミッドウエー海戦よりこのガダルカナル島攻防戦の敗北によってである。

第3期 1943年3月~1944年7月 米軍の戦略的攻勢期、日本軍の戦略的守勢期(米軍は多数のエセックス級正規空母の就航や新鋭航空機の開発・量産などによって、その戦力はを急速に充実させた。その結果、日米間の戦力比は完全に逆転し、格差は急速に拡大した)
1944年6月、米軍はマリアナ諸島サイパン島へ上陸を開始する。日本海軍の機動部隊(空母を中心に編成された艦隊)はサイパン防衛のため出撃し、米軍の機動部隊に決戦を挑んだが、強力な反撃をけて完敗した。いわゆるマリアナ沖海戦である。
この敗北によって、日本の機動部隊は事実上壊滅する。そして7月にはサイパン島の日本軍守備隊が、8月にはグァム・テニアン両島の守備隊が全滅し、米軍はマリアナ諸島を完全制圧した。サイパン島の防衛線は多数の民間人戦没者(約1万人)を出した最初の戦闘でもあった。

第4期 1944年8月~1945年8月 絶望的抗戦期(すでに敗戦必至の状況でありながら、日本軍があくまで抗戦を続けたため、戦争はさらに長期化した)
 米軍は1944年10月にフィリッピンのレイテ島に上陸し、45年1月にはルソン島に上陸して同島の主要部分を支配下に収める。また、45年3月には小笠原諸島硫黄島の日本軍守備隊が激戦の末に全滅する。4月には米軍が沖縄本島に上陸して6月には日本軍守備隊の組織的抵抗が終わった。
マリアナ諸島を基地としたB29による日本本土に対する空襲が1944年11月から開始され、45年3月の東京大空襲を皮切りにして都市部への無差別絨毯爆撃が本格化し、日本の都市は中小都市に至るまでB29による焼夷弾攻撃によって焼き払われていった。輸送船として徴用された商船や民需用の商船の喪失も深刻化した。その結果、軍事輸送に大きな支障をきたしただけでなく、南方の占領地からの資源輸送もほとんど途絶するようになり、日本の戦争経済を崩壊に導く大きな要因となった。

日中戦争開始以降~終戦までの中国本土で戦没者数 46万5700人。(軍人・軍属・民間人。民間人は少ない)
満州事変(日中戦争開始以前)の戦没者数 1万7174人

アジア・太平洋戦争の外国人戦争被害者(推定)
米軍の戦死者 92000~10万人
ソ連軍(張鼓峰事件=ちょうこほう、ノモンハン事件、対日参戦以降 合計2万2694人
英軍 2万9968人
オランダ軍(民間人を含む) 2万6700人

中国軍と中国民衆の死者 1000万人以上
朝鮮の死者 約20万人
フィリッピン 約111万人
台湾 約3万人
マレーシア・シンガポール 約10万人

(その他ベトナム、インドネシアを合わせた、アジア全体では総計で1900万人以上が犠牲となった)

日本人に関していえば、この310万人の戦没者の大部分がサイパン島陥落後の絶望的抗戦期の死者だと考えられる。

上記文章はすべて
吉田 裕著「日本軍兵士」(中公新書2465)2017年12月初版 「序章」からピックアップしたものです。

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