政治状況を越えた作品こそが芸術だ。芸術は政権の宣伝であってはならない

息が詰まりそうな窮屈な社会で、文学や音楽、芸術は窮屈な社会の一つの息抜きであり、新たな活力や知識を与えてくれるものだろう。テレビがある面、受動的な情報であるのに対して、文学や芸術は創造・鑑賞とも、人の主体的な働きかけが必要だ。人間というものは常に外への働きかけを必要としている。外への働きによって、パンを得て、人とコミュニケーションをとり、家族を育て、社会が形成されてきた。

 そうした外への働きかけは、これまでと違ったものを生み出す。これまでの価値観や習慣、経験と違ったものが生まれ、それが根付いて、生活や知識が豊かにってきた。狩猟時代から弥生時代への変化は農業がどこかの地域で生み出され、それが日本に伝わって、稲作が発展した。明治時代にはこれまでの日本の習慣とは違った、文明の利器がもたらされ、知識として民主主義が導入された。いろいろな知識や考えや味方、文明の利器・・・それらが人間の生活を改善し・改革した。

 そう考えるなら、文学・芸術はそれらの基礎だ。いろいろな考え・見方がある中で、人々に伝える役割を果たすのが、コミュニケーションであり、文字であり、人が作った仏像や文学、芸術作品だ。これらははじめ見たとき、拒絶反応を示すこともあるだろう。自分の価値観と違うこともあるだろう。しかし、人々は自分の価値観と違うものをも吸収して発展してきたのだ。

 文学とか芸術というのものはそういうものだ。今の政治状況と違うからと言って排除することは、人間性の後退を示すものだ。今の日本人が今の政治と違うからと言って、いろいろな価値観を排除するのは、人間が人間であることを自ら捨て去っているようなものだ。人間の歴史を見れば、統治者と違う価値観から人間にとって必要な価値感が生み出されてきた。国王の専制政治から民衆の政治へ。そして国王は政権の座を降りた。

政治の状況に合わせた芸術は芸術ではない。単なる政権の宣伝で、それは模倣だ。人間性を開放する芸術を愛すべきだ。模倣作品でなく、本当の芸術は政治状況を越えたものだろう。

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