政治状況から見た創価学会(公明党)についての個人的な意見

公明党が日本の政治に占める割合が大きいように思う。役割が大きいのではなくて、割合だ。

 例えば創価学会の会員の家庭では、いつも公明党員のポスターを張り付ける。そしてその顔を印象付ける。それは選挙の時、効果を発揮する。創価学会会員はほとんどが公明党の人を支持するだろうから、選挙の際、大きなコア(核)になる。通常、有権者は政党やその政策、あるいは人柄などを見て、あるいは政治状況などから総合的に判断する。一方、学会員たちは自由投票というわけではないだろうから、上からの指示として公明党員を選ぶだろう。つまり、公明党(創価学会)という、一つの結束の強い、共同体の方向性が、固定票として読めるため、そうしたわずかな固定票でも政治的な決定権を握っているともいえるのだ。

 今の自民党が強固なのも、ある面、固定票である公明党及びその支持者である創価学会員たちの動かぬ、1票が足元を固めているためではないか。

 しかし、よく考えれば、創価学会の票数が公明党を支え、自民党を支えているとしても、個人個人が上からの指示で(指示ではなくもっと軽いものかもしれませんが)、公明党議員に投票し、あるいは自民党議員を入れるとして、そういう政治が本当に国民にとっていいものなのかどうか、あるいは個人の良心にかけて、公明党員を選んでいるならともかく、単なる義務としてあるいは忖度して?(公明党票が堅いのも締め付けが厳しいのだろう)公明党や自民党を選んでいるのだとしたら、私に言わせれば、それは国民の意思に逆らうものだし、日本の国のためには少しもなっていない。

 それにも増して個人的に思うことは民主主義の根本を支える選挙が、上からの意思で決められることは民主主義を破壊することだし、個人の尊重をうたった憲法や近代的な自由とも相反するものとも受け取れる。よもや、自分で考えて選ぶ権利を明け渡しているということはありませんよね。

(今の政治状況から見た個人的な意見です)

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