戦争孤児、当時を振り返り「日本人というのか人間というのは、冷たいのです」と述懐

12日晩9時からのNHKスペシャル「戦争孤児の闘い」を見た。終戦直後の世相を歌った「リンゴの唄」や「ガード下の靴磨き」などを聞いていたから、子供たちもそれなりに夢や希望をもってたくましく生きていたのかと思っていた。しかし、昭和20年から22年ごろまでは、食べるものも少なく、外地から600万人もの引揚者がいて、国が混乱していたためか、駅の通路や地下道で生活していた戦争孤児は毎日の食べるものなくて、関心も薄くて、餓死したり、病気なったりしたものが多くいたようなのだ。


 孤児たちは社会的な関心や愛情を受けとることもなく、孤立した中で、自分の境遇に絶望しながら、わずかなお金を稼いだり、恵んでもらったり、盗みを繰り返しながら、自分の命をつないでいたようなのだ。その後、朝鮮戦争などで景気が良くなり、徐々に孤児院がつくられたり、親戚に引き取られたり、政策的に子供の路上生活者をなくすようにされた結果、そうした少年らが姿を消すようになった。

 多くのく孤児は、当初は栄養失調で餓死したり、病気になったり、境遇のつらさから自死したりし、生活上の苦闘があったが、その後も孤児院に入っても馴染めなかったり、いじめにあったり、小・中学校では差別されたり、教師にも孤児に対する差別を容認する風潮があったという。

 そのため、孤児は両親がいないということに加え、小さい時のことが深い傷となって残り、大きくなっても犯罪を繰り返したり、心の傷を持ち続けねばならなかったようだ。

 その後中学校の教師になった人は、その当時の忘れられない思い出とし誰一人として温かい言葉をかけてくれず「日本人ていうのか、人間というのは、本当に冷たいんです」と述懐している。

 終戦直後の日本人は何万人もいた戦争孤児を差別し、見捨てた。愛情をかけることを忘れたいた。そうした中で、親を失った苦しさに加え、社会から見放された中で、戦争孤児は窃盗も含めて、いろいろな方法で生き延びてきたようなのだ

youtubeから
リンゴの唄


 ガード下の靴磨き

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