「労働時間撤廃」で精神的な限界まで追い込まれる可能性がある

 労働基準法の改正が今、国会で議論されている。詳しくは知らないが、新聞によれば、残業時間の上限を上回れば罰則が科せられる労働時間の規制強化と、、高度プロフェッショナル制度と呼ばれる労働時間の撤廃を取り入れたり、また法人営業などの人を裁量労働制に入れるいわゆる規制緩和の両方が議論されているようだ。

 残業時間の上限は新聞によれば、「年720時間以内で、繁忙期の上限が100時間未満」だ。これだと通常期の残業時間は月60時間(1日3時間)となる。個人的にはこれでも働かせすぎだと思うが、月60時間超えれば、法律違反となるので、経営者側への圧力となるだろう。

 一方、労働時間の規制を緩和する動きの一つは年収1千万円以上の高度な専門職(高度プロフェッショナル)についている人の労働時間を外す、ということだ。つまり、労働時間の規制を撤廃するのだ。この人たちはどんなに働いても残業しても残業代はもらえない。労働時間を外すということは、どういうことなのだろうかと思う。休日や休憩、休みの取得など取れるのだろうか。具体的にどのような人を対象にしているのかわからないが、医者は高度専門職だろうが、労働時間を外すわけにはいかないだろう。

 もう一つの拡大を目指す裁量労働制というのは、ウイッキペディアによれば、みなし労働時間制の一つであって、それは、「その日の実際の労働時間にかかわらず、その日はあらかじめ定めておいた時間労働したものとみなす」制度である(ウイッキペディア)。例えば、海外旅行の添乗員とか、弁護士、公認会計士、建築士・・・・そうした職種の人は労働時間を算定しがたいとして所定労働時間を働いたものとしてみなす、としている。ただ、こうした人は休日、休憩、深夜業などの労基法が適用される。労働時間だけ、管理・監督されないということだ。今回、国会で議論されているのは、こうした裁量労働制が適用される職種もさらに拡大して、法人営業などの人も対象にしようとするものだ。

 仕事を考えるとき、仕事というのは全体としての大きさや時間的継続性を持っている。つまり仕事というのはある程度の連続性を持っている。国会でいくら長々と議論をしても、それで終わりということはなく、翌日再び別の議論が始まる。ボーリングで40m掘るということになれば、ある時間を区切らなければ、親方はいくらでも続けようとする。それは医者でも、学校の先生でも、研究者でも同じだ。仕事はある範囲の中でそれ相当の分量があり、それに携わっている限りその仕事は存在する。それに区切りをつけるのが、労働時間だ。労働時間を撤廃して雇用されていると、雇用者は仕事が終わらない可能性がある。研究者が論文を書こうとすれば、関係する論文を読まなければならないが、その範囲は広い。そうすると、時間的な制限がなければ、深夜になっても読もうとする。そこに成果が見えればいいが、成果が表れなければ、その人はどうするだろう。さらに自分の時間を削っても論文を読もうとする。どんどん自分を追い詰めていくことにならないか。雇用されているものは、労働時間の規制が必要だと思う。そうすることで時間の余裕が生まれ、仕事に枠をはめれる。

 雇用されるものにとって、労働時間を規制することは自分を守るためのもであり、それが撤廃されると、自分を守れなくなる可能性がある。撤廃されても、自分を守れる人ならいいが、そうでない人は精神的にも肉体的にも限界まで追い込まれる可能性がある。

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