8月1日付ブログ記事へのコメントへの返答

8月1日に私が書いたブログ『読売新聞は公平性が保たれているのか(池上彰「新聞ななめ読み」を読んでの感想)』に2日ほど前、コメントが寄せられた。これまで、コメントには返答したことがないが、あまり無視するのも失礼かなと思い、今回、このコメントに返答します。

頂いたコメントの内容は次のようです。

『はじめまして。 ハンドルネーム「普遍」さんは、このように書いています。(以下 コピペ) <朝日新聞は、日本を守る為に死んで行った特攻隊員の攻撃をテロだと侮辱した。 また、同じく、国を守る為に、特攻隊員の攻撃を受けて戦 死した米艦船の兵士達の死は戦死でなく、テロ死だと侮辱する許し難い報道である。 戦死とテロの違い。戦死は両国の兵隊が自国を守る為に命を賭けて戦い、命を落とした者の死を戦死という。そして、テロ死は、人間を無差別に殺すという人道に反する殺人行 為により命を失った者の死で、どちらも、死を悼んでも、 愚弄することは絶対に許されない。 (コピペここまで) どう思われますか?』

この文章からするなら、どのような死に方をすれど、死を悼むのは当然であり、それは沖縄の住民の自決や自爆も同じです。また、南洋で多くの兵隊が捕虜になる前に自決したり、餓死したり、捕虜収容所で尋問される前に死を選んだ人をも、侮辱できないのは当然です。

朝日新聞が特攻隊員をもしテロ行為と同等というのなら、そういう考え方は問題でしょう。

でも、私は朝日新聞の読者なので、言わせてもらうと、まず新聞記事では特攻をテロというはずがありません。論理的に結びつきません。その記事を提示すべきでしょう。

それとこの文章全体が少し視点が欠落していると思います。"戦死は両国の兵隊が自国を守る為に命を懸けて戦い"とありますが、先の戦争が自国を守るための戦争なのかどうか。フィリッピンやインドネシア、ビルマなど東南アジアや中国の人々が戦ったのは、自国を守る為という理屈はわかりますが、日本がそれらの国々へ行って戦ったのは、自国を守る為ではなくて、自国の権益を守るためではなかったのでしょうか。すなわち、経済的な利益の確保や権益、具体的には資源や土地の確保など。今回の70年談話の有識者の報告書にも、侵略だと明確に記されていると、新聞で報道されていました。この報告書を書いた人たちは、安倍首相に近い人々で構成されており、その人々でさえ、先の戦争は侵略戦争だったと、言明しているのです。

それと、日本の軍隊そのものの組織や命令系統が、とても非民主主義的だったことはどの兵隊の言葉からも言われています。命令には背けず、言われるままに従わずにおれない状況があったようです。多くの兵隊が自分の意思で戦ったのでしょうか。敵が攻めてきたのなら、自分の意思で戦うこともできたでしょうが、こちらから敵国へ戦いを挑むのですから、戦争する意義が明瞭でなかったら、どれほどつらいことでしょう。そういう心の弱さを、軍上部の命令が背中を後押ししたとも取れます。戦死した人、それは兵士だけではなくて、住民もそうです。原爆でなくなった中学生も女学生も、老人も、その死を愚弄したり、侮辱できないことは当然です。

以上、私の思いつくままの返答です。

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