映画「野火」を見て

塚本晋也監督、大岡昇平原作「野火」を大阪、シネ・リーブル梅田で今日、見てきた。思ったよりグロテスクで,血しぶきが一杯飛び、悲惨な血みどろの死体やちぎれた腕、内臓が飛び出てきたり、と画面から目をそむけるシーンが多く出てきた。たぶん、フィリッピンか他の南洋諸島のジャングルでの、日本兵士の飢餓直前の、死に面した人間のほとんど狂気に近いものだろう。

ここで描かれた日本兵というのは、もう兵隊としての統率が取れていなくて、半分獣のような姿だ。同じ人間として、ここまで理性が失われてしまうのか、という極限状態を描いている。僕としては、たぶんいくら極限状態になっても、ここまで人間的な理性を失わないと思う。

例えば「猿狩り」と称して、現地の人間を射殺して、その人肉をばらして食べる行為。そして、今度は猿がいなくなったとして、同じ兵隊を食料として、その肉や内臓を食べるシーン。

この原作である大岡昇平の小説「野火」は読んだことがないが、有名だし、自分の体験から記述していると聞いたことがあるので、多分それは事実なのだろう。でも、この映画のようなことが事実なら、そこまで人間が生きる意味合いというのはなんなのだろうと思う。

でも、NHKスペシャルでも放送されていたが、南洋の戦場というのは、戦死というより、飢餓やマラリアなどの病気で命を落とした人がかなりいたようなのだ。南洋で餓死というのは、とても不思議な感じがするのだが、戦争中、食料が途絶えれば、イモや木の根くらいしかなく、そこで連合国側が攻めてきたので、食料を探す余裕さえなかったのかもしれない。

そしてこの映画では、兵隊の上下関係の厳しさや、戦争への士気のなさ、戦争への意味合いがどの兵士も理解されていないのだろう。ただ、命令されたから、日本から南洋にきて、敵側に向かって銃を撃つ。ただそれだけなのだ。そして、原住民の食料を奪ったり、殺したりする。それは野蛮だからではなくて、自分が生きてうえで仕方なくて。しかし、もう人間的な理性を失いかけているのかもしれない。

この映画では何を言いたかったのかなと思う。それはいつ何時、だれでも、自分の意思とは関わりなく、急にそういう状況に陥ることがあるのだよ、そういう極限状況では、人間的な理性は吹っ飛んでしまうのだよ、って言いたかったのかな。

それは、穏やかな日に突然地震に襲われ、家がつぶれ、津波に押し流されるように、不意に来るものだということを教えたかったのかなとも思う。

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