僕が見た地方紙の弱点と共同通信の責任

一週間ぶりのブログ。書かないとブログからだんだん遠ざかってしまう。泊まっている民宿にもやっとネットが使え、また、モバイルルーターも買ったので、これからはどんどん書こう。
 
 現場へ出張すると、朝、新聞をゆっくりと読めないが、それでも地元の地方紙をぱらぱらとめくる。高知新聞はそれなりにカラーページや紙数も多くしっかりしている感じだ。地方紙で貧弱な新聞を見たことがない。福井新聞、愛媛新聞、高知新聞など。新宮など和歌山県南部では地方紙がなくて朝日や毎日など大手新聞が読まれているようようだ。

大手と地方紙の違いってどこにあるかというと、それは政治・経済・社会問題へのインタビュー記事の多寡や学識経験者の寄稿文の質の違い、それに記者の署名記事の視点の確かさなどだろうか。朝日新聞の場合、インタビュー記事は問題点を深く掘り下げた、良質の記事が多い。それはインタビューする人の問題意識が、インタビューを受ける人の考え、思想を上手くすくい上げるのだろう。NHKクローズアップ現代の国谷裕子はそのあたりがとても上手だ。相手との会話から、問題点の核心に徐々に接近し、何が問題でどうすればよいかの答えを引き出そうとする。

 新聞記者は絶えず人と接触し、社会の問題点に触れ合う機会が多い。そしてそれを文章にして発表するのだから、社会問題への感覚も研ぎ澄まされるはずだ。そうした鋭い感覚を、インタビューで遺憾なく発揮するようにして欲しい。地方紙で国全体の色々な問題を取り上げるのは難しいかもしれない。そこが地方紙の弱点なのだろう。そこに、僕も何か地方紙の問題点を見る思いがする。

そうするなら、地方紙に記事を配信している共同通信の責任が重くならざるを得ないのではないだろうか。共同通信が大手新聞のように、インタビュー記事や学識経験者の寄稿文を多く配信し、署名記事も配信すれば、地方紙の独自の視点と重なって、深い重層的な、幅ひろい意見を載せられるのではないだろうか。今の地方紙の現状では、物の見方や考え方が幅が狭く、政治・経済を考える資料に乏しい感じがする。もっと、政治面を幅ひろく、色々な視点から報道しなければ、世界の動き、日本の動きから取り残される危険がある。そうしないと、日本の政治家の、専制主義的な、国民を政府の下に見るような、大企業志向の、再び戦争を起こすような国作りに向う気がしてならない。

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