もと特攻隊員の思い(朝日新聞より)

 今日の朝日新聞は戦後70年特集として、特別攻撃隊を取り上げていた。特攻隊は1944年10月に初めて行われたようだ。これは一応、「命令ではなくやるように」であったらしい。だから、一応、希望者が出撃したようだ。だが実際は、その特攻の生存者の話からすれば、命令に近いような雰囲気の中での出撃のようなのだ。

新聞では、横浜市の桑原さん88歳の思いが掲載されている。上官から「志願者は紙に書いて提出せよ」といわれたらしい。桑原さんは「命令のまま」として書いて提出したところ、特攻隊員に指名されたという。色々な思いから「気が狂いそうだった」と述懐している。1945年5月4日、出撃するが、エンジン不調で種子島に不時着、そのあと、行かなくて済んだという。

今、桑原さんはこう回想する。「国の大儀で死んでいった人もいれば、私のように家族を思い、国よりも家族が大切だという人もいる。思いを胸にしまいこみ、鉛を飲み込むように死んでいった人もいる。だから、特攻をひとくくりにして、通り一遍の美談にして欲しくない」といっている。

 僕は今の日本の雰囲気を憂う。靖国神社に行って、死んだ人を弔うのもいい。でも、お国のために命を捧げたと言うような通り一遍の言葉で言い尽くせる話ではないのだ。この戦争では、多くの日本人が赤紙ひとつで、凄まじい戦場へ刈りだされ、極限状態で生死をさまよったのだ。半強制化での、戦争だ。お国のため命を捧げた、と言う言葉がどれほど死んだ人の思いを汲んだものなのか。亡くなった人の思いは様々だ。そのことに思いをはせるべきだろう。

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