戦争に対する、政府と国民の乖離

朝日新聞8月15日付連載記事”戦後70年へ プロローグ4”を読んで次のようなことが思い浮かんだ。

今の政府の指導者と国民の間には先の戦争や戦後処理の問題にその考え方に大きな乖離が生じているのではないか、という感じがする。国民や市民が戦争について語るのは、ほとんどがその悲惨さや肉親が爆弾や原爆で悲惨な死に方をしたということ。そして、満州国から逃げ帰る時の辛さ厳しさのようなもの。

それに対して、今の指導者が語るのは、連合国が行った東京裁判が不当であるとか、日本憲法が占領軍による押しつけ憲法であるから自主憲法を制定しなければならないとか、そういう類のことが多い。

15日付新聞では、安倍首相と元外交官の東郷和彦氏を取り上げていた。安倍首相は岸信介氏を祖父に持つ。岸氏は第二次世界大戦時の商工相。戦後の東京裁判ではA級戦犯とし3年間巣鴨プリズムに投獄されたが、不起訴となり釈放された。岸氏は「占領下で作られた戦後体制は米国の国益の産物で、その体制を打ち破ることを使命としていた」(国際政治学者原氏の話)らしい。そして憲法改正を掲げる。その孫である安倍首相も戦後体制の脱却を掲げ、憲法改正や「対等な日米関係」を標榜しているらしい。

一方、東郷和彦氏は祖父が東郷茂徳氏で戦争当時の外務大臣。東京裁判ではA級戦犯として禁固20年の判決を受けた。東郷和彦氏も東京裁判を不当だと思っているが、裁判を受け入れて戦後日本がスタートしたのだから、その後をどうやって国際社会で生きていくか問題だ、と思っている。

同じような祖父を持つ二人だが、考え方が大きく違う。安倍首相は戦後体制の脱却を訴え、東郷氏はそこからスタートして生きていくと考える。

これらは戦争当時の指導者の子孫の話だ。しかし、一般の国民の多くの話は、その悲惨さだ。連日報道されるのは、病院の裏手には死体が一杯置いて置かれたとか、満州国から逃げ帰る時に、子供を殺して自分は裸足で逃げたとか、それはいつ聞いても死と隣り合わせの凄まじい出来事ばかりだ。

戦争というのは始めるのは政府や軍部だが、その最前線で戦うのは国民なのだ。だからそれぞれの子孫の話というのは、血で血を洗う凄まじい戦争の記憶か一方占領軍の押し付け憲法や戦後体制の記憶なのか、だ。

戦争というものに、国民は恐怖心を持っている。一方、政府の指導者は、そんな記憶はなくて、そして戦争への指導者としての反省もなくて、占領されたうらみつらみから、戦後体制の脱却を言っているように感じる。そこに戦争に対して、国民と政府との認識の違い、乖離を見る思いだ。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック