昨日で愛媛県の出張は終了しました

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昨日で愛媛県のダム現場の出張は終了した。まだ、ボーリング作業は続いているが、本数が少なくなったので、人手が余ってきて、私が不要になったいう具合だ。半年間の出張で、大きなトラブルもミスもなかったが、かと言って仕事への満足感はない。私のような非正規社員の無資格者は、国の仕事へは直接参加できず、雑用が主体となる。雑用だから、それほどの責任もなく、精神的な負担も少ないが、仕事のやりがいがなくて、無為に過ごした様な気持ちもある。わざわざ、大阪から出張費を出して来るような仕事なのかという疑問も沸く。私には軽の車が一台割り当てられ、綺麗なロッジに一人宿泊し、そこには温泉やプールが付属している。毎週、大阪へ1回欠かさず帰った。それらの出張旅費は馬鹿にならない。

半年間で見た、ダム現場の光景は、目に焼くつくというほどのものではない。このブログで書いてきたように、私は基本的にダムというものに賛成でない考えだ。膨大な税金を投入する割には、地元の役には立ってないという考えだ。大洲市の洪水を防ぐ役目を担っているようなのだが、洪水を防ぐ手立ては、ダム以外にもあるように感じる。

大洲市のような山あいにある盆地はその成り立ちは、山間部にある河川から運ばれた土砂が平坦地に堆積したものだろう。氾濫平野だ。洪水によりできた平野なのだ。その成り立ちを考えるなら、できるだけ、ダムに水をためるより、川で流す方が理にかなっている。その場合、集中豪雨にどう対処するかだ。堤防を高くするとか、橋に、流木がたまらない工夫を考えるとか、流域に貯水池を設けるとか、地元の人々のこれまでの経験を活かした方法を取り入れることで、なんとかダムに頼らに方法はないものだろうか。

確かにダムをつくれば、洪水を防げるかも知れない。しかし、それでは、川が死んでしまい、山の崩壊が進んでしまう。地元の人はダムと共存できないのだ。

愛媛の山には人々が息づいている。山のいただきには道が縦横に走り、集落が転々と続いている。川沿いの国道からは見えないところで、老若男女が生活している。でも、今もって、学校の閉校等が進んでいる。静かな山村に、今は閉校した木造校舎が当時を忍ばせて、佇んでいる。文明が進めば進むほど、過疎化が進展するのはどうしてだろう。国道には自動車が引きを切らず走っているというのに、山の生活が便利になってきているというのに、過疎化が進むのはなぜなのだろう。また、山間部だけではなしに、日本そのものの子供がいなくなってきているのはどうしてだろう。

こうしたダム現場に多くの税金を投入し続けることは、日本人の幸福とつながっているのだろうか。私のような非正規社員が、毎月多くの税金を消費して大阪からやってきて、国の仕事をして、それで日本経済はうまく回っているのだろうか。国の借金が増え続けるのも、国のシステムそのものに原因があるといえないだろうか。

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