アメリカ映画“ノア 約束の舟”を見て―愛について―

4日の晩に愛媛県の大洲市の映画館で”ノア 約束の舟”を見た。

アメリカの映画を見ると、生きることの主体が愛に根ざしているように感じる。男女が愛し合いながら生活を送っているように感じる。その愛は、恋人同士であったり、夫婦の愛であったり、親が子どもを思う愛であったり、家族の愛であったりするが、なにより、すべての生活の重心が愛にある様に感じる。

愛は何にも増してそれほど貴重で、大切なものなのだろうか。私が人間として生まれ、その喜びに抱かれるのは、若い時に人を愛し、また愛されたという記憶が今も鮮明に生き続けているからだろうか。人に愛されているという思いは、人間の生命にとって、最もかけがえのない貴重なものなのだろう。また、人を愛したという記憶も、ずーと消えることのない美しい記憶だ。

愛には何か人間の、あるいは生命体の、生きた証のようなものを感じる。愛は子孫を残すための、全生命体の生命そのものに刷り込まれた、とても高貴な感情なのだろう。全ての生命体が内に所有しているものなのだろう。

愛は広義的にはもっと幅広いかも知れない。男女の愛だけでなく、例えば、仕事の上で、人と協力し合って、お互い信頼関係を築きながら仕事を遂行したなら、そこには相手への信頼や愛が生じているかもしれない。愛には盲目的な愛があっていいし、好きで好きでたまらない愛があっていいし、節度を保った愛があっていい。

でも、実際は、今の日本では、愛だけではなくて、倦怠感や嫌悪感、妬み(ねたみ)、恨み(うらみ)、自尊心、侮り(あなどり)、恐怖心、劣等感など愛よりもっと辛い感情で毎日を過ごしているように感じる。

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