人間として自立していく森昌子

 森昌子と言う歌手は、ステージ上ではとても真剣だ。常に全力でぶっつかってくる気迫を感じる。だから、レコード・CDで聞く声より格段にいい声を聞かせてくれることが多い。そして、毎年、そのステージ上で見せる趣向に工夫を凝らす。20歳のステージは”ひとり舞台”(7周年記念リサイタル)だ。つまり、これまで、司会者がいて、司会者の進行に従っていたのを、自分が進行役を勤め、そして歌う。約2時間だ。LPレコード2枚分。

これは昌子自身がステージで述べているが、これまで人に頼って生きてきたが、人に頼らず自立して物事をやろうとして、こういう一人舞台を自分の意思として選んだのだ。20歳になったばかりの女性がだ。

昌子の歌にも現れている。これはこのブログでも取り上げたが、19歳の時のLPレコード”すぐに消えそうな愛なら”(1978,4)だ。これには母親からの自立が主に歌われていた。そして、いつか、いい人を見つけて、お母さんを悲しませた償いをしたいと、決意を述べている。

 人間は、誰でもそうなのだろうけど、19から20歳にかけて、一番自立心が芽生えるようだ。昌子がアメリカへ旅だったのも19歳の誕生日前。

そして、レコード会社を変わるのも、21歳の誕生日前。(”ため息橋”の発売が79年10月21歳)これも、たまたまではなくて、昌子の並々ならぬ一大決心、あるいは大いなる意思が感じらられる。10周年記念リサイタルにてこう述べています。「歌手にとってレコード会社を代わることは、サラリーマンが職場を転勤になるのと同じくらい大きなことです」
先生でデビューし、その後十代の名声を形成したのも、ミノルフォンがあってこそ。それを捨てて、新たにキャニオンレコードと契約するのですから、相当な理由が必要でしょう。そういう、理由が彼女の心に、芽生えていたと言うことでしょう。
僕が想像するには、自ら率先して、新しい会社を選んだのではないかと思うのです。ぬるま湯ではない、厳しい状況へ、自分を追い込みたかったような感じがするのです。

それだけ、彼女は人間として成長していたのでしょう。その成長した姿が、21,22才頃から見せる、その女性らしい美しい姿ではないでしょうか。それは、容姿だけでなくて、森昌子が歌いながらも、自分と言うものを常に考え、あるいは自立することを考え続けた結果として、心の中から生じている、本当の美しさかもしれません。

結局、森昌子の声は、疲労の蓄積により、19歳以降衰えが目立ち始めましたが、逆に精神的にはすごく大人になっていった時期かもしれません。その精神的な成長が、”悲しみ本線日本海”のヒットにつながったともいえると思います。また、この歌については、賞を取りたいと、10周年記念リサイタルでも言っていました。逆に、このことはこれまでの森昌子にはない、純真さの喪失とも、精神的な変遷とも言えるわけです。

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