アイデンティティ(自己同一性)について

 アイデンティティ、このごろあまり聞かない。昨日、ウエストサイド物語を見て、この言葉を思い出した。アメリカ人としてのアイデンティティ(自己同一性)を求めていると言えるのだろうか。日本人としてのアイデンティティを本土に生きる人は感じない。でも、沖縄や北海道に住む人は、私は日本人なのだろうかと悩むだろう。つまり、日本人としてのアイデンティティに悩むのだ。沖縄は歴史的には、琉球王国として中学校の教科書に出てくる。それが日本に併合されたのは、薩摩藩に従属した江戸時代と言うことになるのだろうか。

あまりこの問題には、立ち入らないようにしよう。それより、そういう国へのアイデンティティより、自分が自分であると言う自己についての問題提起ののほうが、身近な問題だ。

このごろの若者は、自分と言うものをどう考えているのだろう。今の自分で満足しているのだろうか。もっと違う自分があるとは思わないのだろうか。今の自分は本当に自分なのだろうか。僕は若いころ、アイデンティティ(自己同一性)について考えるとはそういうことだと思っていた。

それから月日が経つが、そのあいだ思考が停止し、考えなくなり、逆に退行し、いつしか忘れ去られていた。今の自分は、潜在意識として自分が望んでいた自分なのだろうか。でも、元々望んでいた自分なんて、ないのかもしれない。それは生きている中で生活とともにあるいは存在と共に、変化し形を変えて、頭の中に具象化してくる物かも知れない。国へのアイデンティティが揺らぐように、自己へのアイデンティティも揺らぎ、変化するのだろう。

じゃ、一体私のアイデンティティはどうなのか。今の私は、過去に思い描いた自分と一致しているのか。結論は、分からない、考えたことが無いからわからないと言うのが正解です。いつか、自己の内面について考える機会があれば、自己同一性と言う問題を考えたいですね。ブログ上でもっと考えたいと思う。

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