映画”ウエストサイド物語”を見ての、果てしない愚痴

今日、大阪ステーションシネマで映画”ウエストサイド物語”を見た。このごろ歌謡曲をよく聞くせいか、ミュージカルにも興味が出てきて、1000円を出して、一人で見に行ってきた。館内はガラガラ、平日とはいえ午後6時台の始まりにしては少し寂しい。

映画はよかった。若者が元気で活発で、目がぎらぎらしている。ダンスや歌に興味のある俳優を集めたのでしょうが、もえたぎる血潮というのか、生きることに真剣な最下層の若者をうまくとらえている。アメリカと言う国家、あるいはアメリカ人であることあるいはアメリカで生きていると言うことをとても意識している。

日本人に、日本で生きていることの意味を問うだろうか。意識せず当たり前のこととして、日本人であることを受け入れている。例えば、在日の人なら、それは切実な問題だろう。なぜ私は日本に住んでいるのか、私は日本人なのか朝鮮人なのか。日本人として就職するのか、在日韓国人として就職するのか、果たして、きちんとした就職口はあるのか。祖国に戻ろうか。しかし、住んだことのない祖国は果たして私を受け入れてくれるだろうか、祖国の習慣になじめるだろうか。

アメリカの移民もおなじなのだろう。でも、映画の若者はアメリカ人になろうとしている。映画で映し出されるアメリカは、やはり輝いている。何かとてつもないエネルギーを感じさせる。若者はけんかをし、人を殺してしまう。しかし、それさえも大きなエネルギーの中で消し去ってしまうようだ。

今の日本を見てくれ。町を歩けば、とぼとぼした老人ばかりが目に付く。エネルギーが感じられない。若者が少ない。

私のことを言えば、仕事がない、仕事が続かない、お金がない、同性・異性とも友達がいない、夢がもてない、日本の将来がとても不安、自分の将来も不安。

もう愚痴止めます。明日には明日の風が吹きます。もう一度日本が、若々しくよみがえって活気が出てくるのを望むばかりです。(こんな愚痴を書くつもりは無かったのに、いつの間にか愚痴だらけですね)

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