映画”セレック・バレ”を見て

昨日、シネヌーボと言う映画館で、セレック・バレと言う台湾映画を見た。これは朝日新聞で紹介されていて、何か見たくなった映画だ。日本軍が日清戦争で台湾を譲り受け、統治した際、高雄の土着民族である、セデック族の氾濫と戦う映画だ。

 初めのころ、とても映画らしい映画であった。台湾の雄大な自然と、そこに生きる、狩猟民族であり、首借り族であるセデック族。そこには部族同士の”狩場”があり、それを争って部族同士のいがみ合いもある。そして彼らは、よく歌い、踊る。それは多分、そうした土着民族が持っている歌なのだろう。それらの歌が、全編を通じて、でてくる。数多くの歌が出てくるので、一つ一つは分からないが、彼らにとっては、儀式であり、古い言い伝えであり、戦いを鼓舞する歌なのだ。だから、この映画を見ていて思うのは、よくこれだけの部族の習慣を採取したものだと言う驚きだ。そして彼らの表情や行動は、とてもゆっくり丁寧に撮影している。だから、とても映画らしい映画だという感想を持つ。今まで数少ない、スケールの大きい映画だと思う。

 でも、日本人にとって、とても悲しいのは、日本人の尊大さが、統治し始めたそれらの部族の反抗心を強め、氾濫に及ぶことだ。あの、東京都知事と同じ構図だ。文明的でないから、人を見下すような見方。文明的だろうが無かろうが、人それぞれを尊ぶと言うこと。それが無いため、野蛮的であるとか、文明的でないからとか、学歴が無いからとかいって、人を見下す。そうすれば、見下された人間は、そこでは受け入れても、心のなかでは、はらわたが煮えくり返るほどの怒りをもっている。それが、つもりに積もって氾濫に及ぶのだ。

その結果はどうなのか。この映画では、それはとてつもなく、日本軍人の首が切られる。そして首が落ちる。そのシーンの多いこと。これでもかこれでもか、と言うぐらい首が落とされる。そして氾濫した部族300人に対し、日本軍人は、何千人と首を落とされる始末だ。又、日本軍の弱いこと。山岳部の狩猟民族と山岳部で戦うのだから、狩猟民族が優勢なのは分かっている。でも、日本軍の司令官は、怒鳴り散らし、狩猟民族に計画性などないという。そういう、人を見下したものの見方だから、相手方の計画にはまって、いくらでも殺され、首を落とされる。

でも、数と物量の前には、沈静されると思うのが普通なのだが、いくら経っても、沈静されない。結局、日本軍ではだめなのだ。それで、同じ山岳民族の部族を使って、相手方の首一つにつき、100円とかで、他の部族を集め、部族同士で戦わせることにしたのだ。そのことで、相手方も日本軍側も、同じ狩猟民族同士の戦いになり、沈静化していく。

結局、この映画は何を言いたいのか。これは誇り高き台湾の狩猟民族をたたえた映画であり、反日を戦った台湾戦士の映画だ。でも、日本人は、よく考えないといけない。台湾が清朝から割譲された地域と言えど、人を見下さず、対等に自治を任さなければならない。例えば、イギリスが統治した香港のように。日本人の習性とも言える、差別意識、それをなくすことが、これからの国際社会で必要なのだろう、と思う。

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