生活の中に”証明する行為”があるのかないのか

人間の思考方法というのは、多分時代の傾向があると思う。今の時代なら、あることを証明するのに、実験などから相関関係を見つけ、それを数式を用いて一般化するようなやり方ではないだろうか。これは科学技術的なやり方。

一方、人を育てる教育的な方法を、それが正しいかどうか、それを証明する方法の一つに、小説のように一人の人物を創造し、その人をその筋書きの中で、育てて教育してどれだけ立派な人間に成長するかを見る方法もある。

あるいは、その考えが一般に認められていて誰でも同意するような内容でそれを積み上げて物事を証明するようなやり方もある。この証明方法が最も、今現在使われている方法かもしれない。

あるいは、証明なしで、なんとなくそれが正しいような感じで、物事を進める場合も多い。これは物事が済んだ後、すぐに正しいかどうか結果が見える。

数学は証明なしでは、前に進めない。科学技術は数学を使っているので、ほとんど全て、証明されているのだろう。証明されていないと、電化製品など、いつ発火するかわからなくて危険だ。

でも人間の行う行為は証明が難しいだろう。
例えば、医者にかかることはよいことか悪いことか、を証明するには、色々な事例からいい面と悪い面が出てくるだろう。悪い面の証明として、医療ミスがある。針を間違えて、動脈に刺して死んだとか。医療費の負担で、国がとても負担が多くて、他の施策が出来ないとか。一方、よい面も数え切れない。

でも、人間の行為も、細分すれば、証明できそうだ。

”証明”
中学校のときの合同の証明と言う言葉が頭にこびりついているが、自分の生活に、もう一度”証明する行為”を生かせるのかどうか、あるいはそういう行為が日常生活のなかにあるのかないのか、と思う。

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