映画”ゼロ ダーク サーティ”を見て

 ”ゼロ ダーク サーティ”と言うオサマ・ビン・ラビンを殺害する実話を元にした映画を見た。一人のCIAの女性を主人公にして、パキスタンを舞台にオサマビンラビンを追う姿と、テロの恐怖、そしてアジトを見つけての後の、CIAの葛藤、そして最後の場面での米軍の隠れ家への夜中(0時30分?)の急襲場面などから構成されている。

私はこの映画を見終わって、しばらくは過呼吸になった。多分,容疑者宅をアフガニスタンから襲う米軍兵士の緊張感が伝わってきて、息を凝らしてみていたからかもしれない。でも、重たい。重たすぎる映画だ。これが実話をもとにしていなければ、つまらない、どこにでもあるありふれた映画だ。だが、これが現実なのだから、重たすぎる。米軍は、あるいは兵士たちは、何の権限があって、アフガニスタンからパキスタンへ国家の主権を侵害して、夜中に黙って人の国に入って、そこの住民を殺害できたのか。こんなことは出来るはずがない。でも、オサマビンラビンはこうして殺害されたのだろう。

この現実の重たさに、多くの観客は映画が終わっても、動けなかった。映画は殺害現場を坦々と映し出していた。でも、私もそうだが、多くの観客は、現実こんなに坦々と話が進むはずがないと、感じ取っているのだ。映画の軽さより、現実の重さを推測されるのだ。俳優はいいよ、そうした厳しい顔をしておけばいいのだから。だが、現実に殺害に加わった、兵士はどうなのだろうと推察されるのだ。実話というのは、映画よりすさまじいのだ。

映画の世界を見ながら、現実の世界の厳しさが、身体中ににのしかかってくるような、重く厳しい、そしてつらい映画でした。

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