ブログを書くことは随筆家気分

今日から3日間の連休。仕事があって、休みがあるのはうれしい。仕事が無くて休みがあるのは悲しい。だから、この連休はとてもうれしい。

そしてこうしてブログを書けるのもうれしい。ブログを書くのは、なんだか随筆家になったような気分だ。特定の人が見てくれるというわけではないが、確かに誰かが垣間見る。だから、この文章というのは、日記というより、やはり不特定多数を相手にした文章と言うことだ。こういう気持ちは、やはり作家や随筆家に通じるものがあるだろう。何も感動を相手に伝えようとはしない。自分のもっている、感じたことや思いをお喋りのように伝えたいだけなのだ。

それでも、自分の心の闇の中から、ふと浮かび上がってくる言葉や普段気にとめなかったことがはっきりした言語で、形付けられることもあり、自分が成長したように感じられる。

例えば、以前、宇治市の災害現場を歩いたが、ただ歩くだけでは、自分の頭の中だけの記憶にとどまっていたものが、ブログに書くことで、きっちりしたその時点での思考の、そして行動の、災害の記録として残る。森昌子の歌の批評や感想も、月日と共に感情も変化するが、それをその時々の、感情の変化と共に記録し、深めることが出来たと思っている。一年前の片思いは、ブログに書くことで、告白まで進み、そしてそのまま、捨て置かれた。書くことで、苦い思いはより鮮明になり、そのページを繰ることで、記憶がはっきりと浮かんでくる。

そうすると、ブログは毎日の感情などを紙に刻印する、道具なのかもしれない。書けば書くほど、毎日の過ごした印象が深くなるのかもしれない。ただ、その反作用もある。書くことが目的になる。こういうことを書くために、行動する。こうなれば、自分が自分で無くなり、自分が別物になる。書くという行為を、反省の道具、あるいは思考を深める道具に、とどめおくことが必要なのだろう。

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