森昌子の演歌は、本当に心に響くの?

 今の若者に演歌が受け入れられないのは、今の若者の曲を聴くと、その違いが大きすぎ、当然と言う感じがする。でも昔から、演歌は若者からあまり受け入れられなかった。だが、演歌でも、流行した曲は多い。石川さゆりの”津軽海峡冬景色”は演歌の部類に入ると思うのだが、とてもいい歌だし、当時、多くの人に受け入れられた。同じように、都はるみの”北の宿”も。歌は色々分ければ分けられるのだろうけど、人々の間に、はやる曲と言うのは、それなりにジャンルを越えた、人をひきつける魅力があるのだろう。

 結局は演歌と言う、紋切り型で表現することが、歌の特性やあるいは歌手の持ち味を消すことにつながると思う。そう考えると、森昌子は演歌も歌ったが、その多くは、若者が口ずさみたくなるような大衆受けするような歌だった。多分、20歳ごろまでは、そのターゲットは若者だろう。恋の切なさ、嬉しさ、喜び、哀しみを昌子らしい声で、表現した。

 演歌の特徴は、森昌子の歌を聴くと、まずもって、こういう曲は、どういう状態・状況(シチュエーション)のときに聞くものかなと思う。それを聞くときの、心の持ちようが不明確なのだ。
例えば、愛傷歌。別れた人を恋しく思っているのだけれど、その状況にとどまり、懐かしみ、そこに哀愁を見出し、それ以上前に踏み出そうとはしない。かといって、本当の悲哀も無い。そして曲も軽快だ。これが演歌と呼ばれる、歌の世界だ。こういう曲は、どういう心持で聴けばいいのかな、と思った。朝目覚めたとき?寝しな?悲しいとき?本を読みながら?くつろぎながら?

 これは、愛傷歌だけを聞いての話で、全てに当てはまるはずも無い。けれど、もし演歌と言うものが、こういう類(たぐい)のものなら、若者に歌われるはずも無い。それは頭の中でこねくり回した世界で、現実ではないし、その現実の厳しさを乗り越える意志を萎えさせている。(但し、離婚を経験した今の森昌子がこの曲を歌うと、現実感が増し、胸にとても響いてきますが。)

それに対して、愛傷歌のB面の恋きずなは、同じ演歌ながら、とても前向きだ。二人で、苦しかったけれど、共に生きていこうとする人生への意欲が感じられる。愛傷歌が過去を懐かしむのに対し、恋きずなは過去・現在・未来を歌っている。

全ての森昌子の後期の曲を演歌と言う言葉でひとまとめにしないで、本当に心に響く曲なのかどうか、あるいは勇気や慰めを本当に与えてくれるのかという視点で、聞いてみたいですね。

youtubeで聞く、愛傷歌:http://youtu.be/yqP-Te7WqRk
          恋きずな:http://youtu.be/LEtDqlUOZUg

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