別れた嫁さんのこと

 古い昔話。
 私の嫁さんとは20年ほど前に死に別れました。彼女が生きていたとき、彼女は幸せだったのかな、と思います。私と結婚してよかったのかなと思います。私は好きで好きでたまらなく好きでした。死に別れるなんて想像さえしていませんでした。しかしそれが現実になったのです。
 もっと愛してやればよかった、と今思います。その時は愛し方など分からなかったし、そういう意識など微塵もなかったですから。僕自身そのときはとても幸せだった。彼女が死ぬまで幸福の絶頂期だった。だから愛し方など分からなかったし、意識もなかった。
 でも、今は思う。本を読んだり、人と交際したりした中で、意識は変えられただろう。夫婦と言う意識、愛は造っていくものだと言う意識、色々話し合えば、もっと違った夫婦の関係が出来上がったかもしれない。そうすれば、彼女は死なずにすんだのかもしれない。盲目的に愛しているだけではだめなのだろう。

 この20年間、彼女のことはあまり考えなかった。彼女は一人お墓の中で、寂しい思いをしているかもしれない。年4回ほど家族でお墓参りをし、花を供え、南無阿身陀仏と言って、手をあわせる。息子も手を合わせる。息子は母の顔をほとんど知らない。死んだ彼女の思いはなんだったのか。その思いは家族に伝わっているのかな。私は失業している。今月は給料が入らない。失業の手続きが遅くなり、来月にずれ込んだ。私の母が毎日仏壇に手を合わせ、簡単なお経を上げる。私も1ヶ月に1,2度、気が向けば手を合わせる。

 死んだ人間の思いはあるだろう。私はあまりに鈍感すぎただろう。何も考えなかった。いまさら20年前を振り帰ってみたところで、彼女の思いがよみがえるわけでもない。でも考えてあげなければ、夫としてその資格は剥奪されそうだ。前の会社で、恋心を抱き、常にその女性のことばかり考えていて、ブログも彼女のことばかり。
 それでいいのだろうか。今、その女性から振られて、初めて感じる。20年前死んだ嫁も、もしかして同じ理由で僕を振っていて、一人寂しく死んでいったのではないか。私は何も考えなかったが、こうしたブログと言う、書く手段を与えられたからには、もう一度、彼女のことを温かく見つめなおして、彼女の思いを考え直してあげなければと思う。今日、これが、その第一日目となるのだろう。

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